#01 収益=人間の価値?|会社勤めをしていない私は価値がない?

ベージュの洋服に付けられたMaison Kitsuneの白いブランドタグ

今、私は会社勤めをしていません。
高校卒業と同時に就職し、働くこと20年。今は人生の夏休みを過ごす40代です。

18歳の頃、まわりの友だちが大学や専門学校に進む中、私は就職する道を選びました。どうしても勉強したいことが見つかったら、そのとき大学へ行こう!

そう心に決めた私は、今、大学3年生です。

自分でコンテンツ制作の仕事をしながら、通信制の大学で思う存分勉強する日々。どうしても勉強したいことが見つかった、そのときが私の大学進学のタイミングでした。

大学進学に限らず、いろんな点で人と違う道を歩いてきました。
そして、そんな自分の人生を結構気に入っています。

けれど、いつもそう胸を張って生きてきたわけではありません。まわりと違うことは、なんとなく不安だったり、なんとなく孤独だったり。

最近読んだ、エーリッヒ・フロムの『自由からの逃走』という本。そこで出会ったのが、自由とともに存在する「孤独」や「不安」でした。

「あぁ、私この感覚知ってる…」

フロムおじさんが難しい言葉を並べて説明している「孤独」や「不安」が、自分の経験と重なりました。

ある日の大学の授業で。「高卒は生産性が悪い」というフレーズを、なんともサラリと言ってのけた教授。

「え?今なんて?」

私は耳を疑いました。
生産性が低い大卒もいるし、生産性が高い高卒もいるだろう。

いやいや、そもそも人間を捕まえて「生産性」ってなんだ?
工場の機械なのか?

そんな問いが頭をぐるぐると駆け巡りました。

人間の価値を、社会的・経済的な有用性で測ることはできるのか?

「有名企業で働いています!」
「こんな立派な肩書があります!」
「○○億円稼いでいます!」

仕事や肩書き、収入は、自分が何者なのかをものすごく簡単に説明してくれます。そして、私たちは人を見るときにも、つい同じ物差しを当ててしまいます。

でも、

仕事や肩書き、収入で、人間の価値まで決まるのだろうか?
社会でどれだけ「役に立つか」が、そのまま人間の価値になるのだろうか?

『自由からの逃走』を読んでいると、なんとも興味深いフロムおじさんの言葉が。現代人は、自分自身をひとつの「商品」のように感じている、と。

…商品?

私は自分を商品だと感じたことはない。

でも、

「有名企業で年収○○億円」
それは、「神戸牛1万円」と同じではないか?
神戸牛には値段がついている。
私たちにも、年収という数字がついてくる。
牛肉とは違うけれど、
数字の大きさで価値を感じ始めたとしたら?

…あれ。

ちょっと商品っぽいかも。

でも、年収はあくまで、その人の仕事に支払われる金額。
その人自身につけられた値札ではありません。

それなのに、収入が少ないと、なんとなく自分の価値まで低いような気がしてしまう。立派な肩書きがないと、なんとなく自分まで小さくなったような気がしてしまう。

いつの間にか、仕事につけられた値段と、自分自身の価値がごちゃ混ぜになってしまう。

「収益が少ない私=価値がない?」

いやいや。
もちろん、そんなはずはない。

でも、そう感じてしまいやすい社会の中に、私たちは生きているのかもしれません。

次回へ続きます🪴