トラウマの環境を離れてから、
私は長いあいだ罪悪感に苦しんでいました。
頭では「離れてよかった」と理解しているのに、
なかなか心がついてこない。
そんな矛盾のなかで、
私はずっともがいていました。
過去を思い返すたびに、
「大切なものを裏切ってしまったのではないか」
という感覚が胸を締め付け、
「どうして傷つけ合うような形で終わってしまったのだろう」
「もっと違う乗り越え方があったのではないだろうか」
と、答えの出ない迷路に入り込んでしまうのです。
けれど、最後にはいつも、
「あのときの私は、もう限界だった。」
という同じ場所に戻ってくる。
そんな思考のループを
何度も繰り返していました。
そしてもう一つ、
私を苦しめていた思いがありました。
「私の捉え方が間違っていたのではないか」
「私が大袈裟に反応してしまったのかもしれない」
この「自分を疑う感覚」は
私の心を大きく揺さぶっていました。
今思えば、これらは全て
トラウマを経験した人によく見られる、
自然な反応だったことがわかります。
📖 罪悪感の正体
(※私は専門家ではありませんが、調べた範囲で参考になった内容を紹介します)
ここからは、
私があとになって知り、
「そうだったんだ」と理解できた点です。
① 長くいた環境を「安全」と勘違いしてしまう脳のしくみ
心理学では、慣れた環境を「安全」とみなす脳の傾向 がよく知られています。
たとえ、その環境が苦しくても、
- 扁桃体(危険を察知する脳の部分)は「変化」を警戒し
- 海馬(記憶を整理する部分)は「慣れ」を優先する
と言われています。
そのため、脳は「知らない未来」より、たとえつらい状況であっても、そちらのほうを一時的に
「安全」だと感じてしまうことがあるようです。
離れたあとに罪悪感が出るのは、この誤作動とも関係していると言われています。
② 「自分のせい」にしたほうが心が落ち着くことがある
心理学を学ぶ中で驚いたのは、
「傷ついたとき、人は自分を責めやすい」
ということでした。
その理由の一つは、
誰かを悪者にするより「自分のせい」にしたほうが、世界が安定して感じられるから
だそうです。
トラウマ体験では、自分の力ではどうにもできないことが多くあります。
けれど、その「どうにもできなかった」という事実は心にとって非常に怖いことです。
そこで脳は、こう考えることで安心を得ようとするのだそうです。
「私がもっと頑張っていれば良くなっていたはず」
これは一種の自己防衛です。
「自分が原因だった」と感じるほうが、
「次は気をつければ傷つかない」という、
小さなコントロール感を得られるからです。
自責は、心が混乱を避けるための「仮の安心」なのです。
そのため、
本当はどうしようもなかった状況であっても、
人は自分を悪者にしてしまうことがあるようです。
私も、この仕組みを知ったとき、少しだけ心が楽になりました。
③ トラウマ脳は「過去をやり直したい」という衝動を抱きやすい
トラウマの傷は、時に
「もしあの時○○していたら…」
という形で再現されます。
心理学ではこれを、
反芻思考(rumination) と呼びます。
これは、脳が
「あの時の苦しみをもう一度分析すれば、
次は避けられるかもしれない」
と、信じ込んでしまうためです。
そのため被害者は、
「あの時もっと冷静に話せたら…」
「我慢していれば違う未来があったかも…」
と、過去の「もしも」の世界を、何度も再生してしまうのです。
これは、
トラウマ後の「反芻思考(rumination)」で、
心が過去の出来事を
「別の結末にできなかったか」
と探し続ける状態です。
④ 罪悪感は、神経の疲れから生まれることがある
罪悪感というと、
「心の弱さ」や「道徳心の問題」だと思ってしまいがちですが、ストレスで疲れ切った神経がつくり出す感覚でもあるのだそうです。
- 交感神経の過剰な働き
- 副交感神経が弱まり休息モードに入りにくい
- 「自分が悪い気がする」という感覚が強くなる
つまり、罪悪感とは「自分が悪いから」ではなく、心と身体が発している「助けて」のサインでもあるのです。
こうして振り返ると、あのころの私が抱えていた罪悪感は、私の性格の問題ではなく、心が生き延びるために働いた「生存反応」そのものでした。
混乱した世界の中で、あのときの私はただ、必死に生きていただけなのです。
✨最後に
あの頃感じていた罪悪感は「私が悪かったから」生まれたものではありませんでした。
今ならはっきりと、あのときの自分にこう伝えられます。
「あなたは悪くないよ。
長いあいだ、よく頑張ってきたね。」
🌱 次回予告
次回は、
支配的な環境がどのように罪悪感を生み出してしまうのか
その仕組みについて書こうと思います。
もし同じような経験をされた方がいましたら、
少しでも心が軽くなりますように。
