トラウマの環境を離れたあと、私は説明のつかない罪悪感に、押しつぶされそうになっていました。
「もっと良い乗り越え方ができたかもしれない」
「私がもう少し頑張ればよかったのかもしれない」
そんなふうに過去の自分を責め、その度に胸の奥がぎゅっと痛んでいました。
けれど、時間の経過とともに、少しずつ心が落ち着きを取り戻していく中で、ようやく見えてきたことがあります。
あの頃の私は、もう限界だった。
誰かを傷つけたくて離れたわけではなく、「逃げた」のでもなく、ただ、自分の人生を取り戻すために、そこから離れるしかなかったのだということ。
そこで今回は、あとになってわかった、「限界まで頑張っていた頃の心の状態」について書きたいと思います。
📖 心は限界に達しても頑張ろうとする
(※私は専門家ではありませんが、調べた範囲で参考になった内容を紹介します)
① 人は危険な環境で「過剰適応」してしまうことがある
心理学では、苦しい環境に長くいると「過剰適応」という状態になることが指摘されています。これは、
- 自分の気持ちを抑えて、相手を優先する
- 暴言や支配に慣れ、耐えることが当たり前になる
- 無理をしてでも関係を保とうとする
といった、
「我慢が生きるための戦略になってしまう」現象のことです。
過剰適応は弱さではなく、心ができる限りの力を尽くして生きてきた証です。だから、離れたあとに、「私がもっと頑張ればよかった」と思うのは実は誤解で、その時点ですでに限界だったのです。
② 脳は限界を超えると「感情」を感じにくくなる
私が驚いたのは、極度のストレスが続くと
感情を感じる力が弱まることがある
という説明でした。
- 涙が出ない
- 悲しいはずなのに無感覚
- ただ「耐える」ことに意識が向く
これは「凍りつき反応(フリーズ)」と呼ばれることもあって、身体が自分を守るための反応だと言われています。
つまり、「何も感じないようにしていた」のは、心が弱かったからではなく、生き延びるために必要な反応でした。
③ 支配・圧力の中では「良い終わり方」を選べない
あとになって知ったのですが、支配的な宗教団体や虐待的な家庭などのトラウマ環境では、
「平和な別れ」自体がほぼ不可能
なのだそうです。相手は、
- 罪悪感を使って引き戻す
- 離れるという選択を否定する
- 最後まで支配を手放さない
といった行動をしやすいため、自分がどれだけ誠実に向き合っても、穏やかに離れることが難しい環境だったのです。
「もっと良い乗り越え方があったかもしれない」
と思ってしまうのは自然ですが、実際には私に選択肢はほとんどありませんでした。
④ 限界まで頑張っていたからこそ、罪悪感が後から押し寄せる
興味深かったのは、罪悪感は「サボっていた人」ではなく
限界まで踏ん張ってきた人ほど感じやすい
という説明です。理由は、
- がんばり続けた人ほど、最後の一押しができなかった自分を責めてしまう
- 他人に尽くしてきた人ほど、離れる時に自分を悪者にしてしまう
- 「耐えてきた意味」を探そうとして、自己批判が強まる
といった心理が働くからだそうです。
けれど、それは弱かったからではなく、それほどまでに頑張っていたからこそ生まれる感情なのだと思います。歩いてきた道のりが、それだけ重く、深かったからこそ。
✨ 最後に
あの頃の私は、「もうこれ以上頑張れない」という限界に達していました。
傷ついて疲れ果て、心の底まで消耗していたのに、それでもなお、「関係を守ろう」としていました。その姿勢は、強さそのものだったと思います。
自分を責める必要がないことは明らかです。
もし、同じような経験をした人がいましたら、頑張った自分を責めないであげてください。あなたはあのとき、 もう十分すぎるほど頑張っていました。
🌱 次回予告
次回は、
罪悪感からの解放について、「どうにもできない状況だったことを理解する」
という視点を書きたいと思います。
